東京不幸中毒

幸せを追っかけても不幸にしかならなかったので、不幸を追っかけてみることにした

2017年6月の日記「わたしが22だったころ」

デートの日が待ち遠しくて怖くって、5人のセックスフレンドのうち2人と立て続けに寝た。普段しないことはするものではなく私のあそこはひりひり痛んだ。

 1人目、28歳IT系。は虫類系売れっ子俳優に似た顔をしたセクシーな声の持ち主だ。背はそこまで高くないしお腹は少しでてきたところか、しかし相変わらず細身で色白だった。アメリカンスピリットの愛好者で隙あらば吸っている。煙で満ちたキッチンとクーラーのきいたワンルームを新築らしい一枚のドアが仕切っている彼の家。隙間から漏れる煙草の匂いが薄く広がる部屋の中で私は一人掛け布団の匂いを嗅いでいた。決して良い香りじゃない、シャワーで汗を流さないまま何度か潜ったであろう匂いがする。セックスの汗の匂いでもなかったので今はそこまで頻繁に女と寝てないのだろうか、枕元のトイレットペーパーはティッシュの代わりにしてはよく溶けるから精液を拭くにも適していない。

 2人目、30歳広告代理店。就職活動中にOB訪問をした人だ。背は170ちょいのえらがはったニキビ痕の残る肌。お世辞にもイケメンとは言いがたいが笑うと優しくなる細いつり目がちょっとカワイイ。下心が透けて見えやすい人で「あ、この人今褒めてほしいんだな」みたいなことがすぐにわかる。傷つくポイントもわかりやすいものだからついいじめてしまいたくなる。8歳も年上の大企業の社会人をおちょくる楽しさは筆舌に尽くしがたいもので、ちょっと考えたら私が小学校1年生の時に彼は中学2年生なのだ。そんな人と体液をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせながら抱き合ってると思うと年下女の身としては愉快でしかない。

 セックスの相手を観察して愉快がっているのが私で22歳女子大生を無料で何の苦労もなく抱けることに男としての魅力を再確認するのが相手。今後もそれくらいのわかりやすい関係であり続けたい。頭に疑問符を浮かべる余地もない関係が理想だ。それでも、時々迷子になる。

 なぜ、5歳以上も年下の私を抱くのか?

 若いから?女子大生だから?もしかして私がちょっとばかりかわいいからだろうか?

 天狗になってはいけない。ただの餌だと思って食いついてきたのは間違いない。私のことなんて「スグ抱ける女」としか思ってないだろう。

 

 でも、それなら私も同じなのだ。私の大事な「スグ抱いてくれる男」たち。LINE一本で今夜の相手が捕まるこの社会。

「えっちしたいな……」

 送信。

 それだけ。

 彼らは別段魅力的なわけじゃない。最低限のホスピタリティとフットワークの軽さがあって、人として尊敬できるところが少しある。ベッドのお供にはそれくらいのスペックで充分だ。

 

 そして、そうじゃない男。私がセックスなしのデートをする男。つき合いたいのはこっちだ。それなのにセックスざんまいの日々を送ってきたせいで今更プラトニックラブを展開する方法がさっぱりわからない。自業自得といえばそれまでだが、気休めに心理学の本なんかを読んだりしてしまう。

 

 骨、筋肉、肉の隆起。ストロボを当てたときの骨盤に沿った陰影、白く発光する肌。「ああ、生き物だ」と思う。隠さなくちゃいけないのか。一糸まとわぬ姿は他のどんな姿よりも生き生きとしているのに。22歳、水を弾いてやまない肌を晒さずにはいられない。はじけんばかりの弾力と、くすみの無いきめこまやかな肌を所有しているのは今だけだ。

 私が怖いのは老いることではない。しぼんでいくことだ。できないことを知り、越えることのできない壁を目視し、少しばかりの絶望を経験しつつ肉体を使い古していくうちに心も肉体もしぼんでいく。熱い無鉄砲さを疎んじるようになる。致し方なく了見をわきまえるようになった自分の正当化のために、自由を謳歌する人を馬鹿にするようになる。

 みんな自分の正当化に必死だ。「自分の生き様こそ美しい」と思えなければ

世間一般の幸せを掴むことができない世の中だから。いくら多様性多様性と声を上げても「幸せの条件」にはある程度普遍性がある。生存から逆行することが「幸せ」として市民権を得てしまえば社会が上手く機能しなくだろうし少なくとも私が生きているうちは「幸せの条件」が大きく変わることはない。となると私も、22年積み上げてきた自分の歩みを肯定するほかないのだ。

 マウンティングや格付け、ヒエラルキーといった人間関係上の息苦しさは自己をなんとかして肯定する人たちの押し付けあいからできている。自己肯定には他者からの客観的賞賛も必要なのだ。100%主観的な自己肯定ができないことが世界にはびこる息苦しい人間関係を作り上げている。

 主観と客観の諍いにはもう疲れた。斯くなる上は主観を充実させるしかなくそうなるとセックスは最高だ。唯一無二の私の身体、私の知覚だけが知りうる快感は誰とも比べようがない。性の世界には、基準の無い主観の世界が広がっている。

 ただし2017年を生きるセックス好きの女子大生にとって、一番の興味が「セックス」だとを公言するのはリスキーな行為だという自覚がある。大切なセックスパートナーを失いかねない。だから私は今すぐにでも結婚したい。中々解消できない関係のパートナーをつくり、相手の理解を得た上でセックスに対する興味を公言したい。社会をそう簡単に変えられないからこそ、社会を少しばかり利用させていただきたいと思う。

 22歳、この身体を晒したい。この筋肉の躍動を、湿った肌を、一番美しい今一瞬を人目に晒して一番興奮してほしい。全身全霊のセックスを身に感じたい。そして誰とも比べようのない、自分だけが得る快感に飲みこまれたい。