東京不幸中毒

幸せを追っかけても不幸にしかならなかったので、不幸を追っかけてみることにした

お願いだからモテたくない

モテ系女性誌の意味がわからない。

不特定多数にモテることは私にとってまぎれも無い不幸だ。

好きになる可能性の無い人からのデートからのお誘いその他アプローチに類する事柄全てに嫌悪感を抱く。正直吐き気すらもよおす。

悪い人ではない、傷つけていい相手じゃない。だからこそ嫌だ。そんな人を無碍に扱いたくはない。

モテることは無碍に扱う人数を増やすことだ。

気のない人からアプローチをかけられるくらいなら、いもしない彼氏がいる体を装った方がまだマシだ。

それなのに不特定多数モテを標榜する女性誌が人気でありつづけるのは、好きになった人を的確に狙い落とすためなのだろうか。それともマジョリティはそんな不特定多数モテを求めているのだろうか。もしくは、好きになった唯一人を落とす為に多くの人の気持ちにゴメンナサイしなければならないのが社会の摂理なのだろうか。

そんなのって、そんな社会なんて、あまりに不幸すぎる。

 

多くの人とやりとりをして、多くの人とデートする。好きじゃない人に親切にされればされるほど自分が「悪い人間」のように思えてくる。私はその親切に応えることができない。対価を提供できない。私は人の心を弄ぶ「悪い人間」だ、という罪悪感にかられる。

努力は報われなければならない、と思うからこそ。自分のモットーを自分で否定するからこそ苦しい。自分のモテ嫌悪の理由がここまでわかってしまうと「私はただの自己愛のかたまりだ」とさらなる自己嫌悪に襲われる。

 

だから不特定多数から好かれることが幸せだと思えない。返せない好意は自己嫌悪を誘発する。

モテたくない。

モテればモテるほど、辛くなる。

恋心とは恐ろしいもので、好意を向けてくれる相手に自分をネガキャンしたところで中々冷めてくれるものではない。一度好きになられたら終わりなのだ。というかむしろ、ネガキャンをすればするほど好きになられる気すらする。

 

好かれたいのは私が好きになった人からだけだ。

でも、世の中そんなふうにできてない。モテる人は不特定多数からも好意を向けられ、モテない人は好きな人に振り向いてもらえないなんてことが殆どだ。

 

人工知能だかなんだか知らないが、上手くそのへんをどうにかしてくれないものか。誰かを好きになりそうな段階で「○○さんがあなたのことを好きになる可能性は○%です」とか教えてくれはしないものか。それで不特定多数からのアプローチが無くなれば、少なくとも私は幸せになる。

 

人には他者を好きになるかどうかのボーダーラインがある。そして、自分のボーダーを把握しきっている人は少ないと思う。恋のボーダー総合点で定まるもので、婚活のように細かく条件付けできるものではない。それを越えない人は、どんなに頑張られても無理なのだ。総合点の問題なので、どこを改善してくれれば……とかじゃない。どんなに頑張られても好きになれないのだ。

 

好きな人を振り向かせるための方策として、欠点を補う意味での「人から嫌われない条件」を身につけることが有効だとしても、取ってつけるタイプの「モテ要素」なんてものはまるで意味が無い。

「モテ要素」を身につけたところで相手が見ているものは総合点。言い換えれば「要素のバランス」だ。取ってつけた「モテ要素」が相手にクリティカルヒットすることなんて、20代後半にもなればまず無いだろう。

 

また、世間的にモテると思われる社会的強者の人が相手に求めるものほど定型化しづらい。

たとえば「年収は低くてもいいが楽しく話せるくらいの頭の良さは必要」とか、「自分とは別の専門に秀でている」とか、「容姿が優れていればいい」「家庭的であること」とか。持てる者が要求する事柄は千差万別だ。女性の社会進出が進んだ現代において、もはや3高3低とかの”鉄板モテカゴライズ”はどんどん形骸化が進む。持たざる者を狙うのであればまだしろ、持てる者を狙う人にとって不特定多数向けの「モテ作戦」なんてものは無駄であり、雑魚モテ誘発剤でしかない。メディアや広告代理店が発信するモテ要素を真に受けてはいけない。

 恋愛はマッチングだ。好きになる人に振られ続けているなら、好きになる人のレベルが自分と釣り合っていない事実を噛み締めてレベルアップに励むしかない。

レベルが同等なのに上手く行かないなら相性が悪い。相性の悪い人とつき合ったところで幸せになどなれないのだから、自分の未来が暗くならないための天啓だと思った方がいい。次に出会う人が最上の幸せをもたらすよ、という天啓の可能性もある。

 

モテ系女性誌の意味がわからない。

婚活に焦るアラサー世代未満対象の女性誌で雑魚モテテクを発信する意味が分からない。

好きな人を振り向かせる為に一般的なモテテクなんてものは何の役にも立たない。

それなのに、どうしてモテテクを求める人がいるのか。

人の気持ちを無碍に扱うことが快感なのだろうか。

 

その気持ちはわからない。

私はきっとこれからも、不器用ながらもありのままの自分で勝負していくのだと思う。

いつかきっと、好きになった人が私のことを好きになる日が来ると信じて。